研修も残すところあと2週間余りとなった。メンバーもそろそろ帰国してからのことが気になり始めているようである。お土産を買ったり、帰ってからの仕事について質問したりとカウントダウンモードに入ってきた。私は友人に会いたいという気持ちが一番。それから仕事も含めてこれからどういった方向に進んでいくのか、いろいろ考え始めている。
いつも言っていることだけれど私の人生の目標は通訳者として一人前になることではない。英語や通訳の勉強はとても好きだけれど、会議通訳者を自分のゴールにすることはできない。私は自分のできる範囲の通訳を一生懸命やってそれで喜んでもらえればそれだけで十分やりがいと満足感を味わうことができるタイプの人間だ。ある意味で今の状況は、まさに私が求めていたものであって、これ以上通訳者として望むものはないのかもしれない。
じゃあ、これから先私はどうしたいのだろう?と考えたとき、私は壁にぶちあたってしまっていた。同じような考えを持った友人と話をしたときに彼女は「通訳という仕事よりも業務に興味がある。」といっていた。でも私は業務には興味はない。通訳という立場で業務を理解することは好きだけれどそれはあくまで理解しやすい訳出をするうえで必要な背景知識でしかなくビジネスを考えることには関心がない。じゃあ、私って一体何をしたいのだろう?ここ数ヶ月、私はずっとその答えを探してきた。そして今回の研修に参加して、私がやりたいことは以前からわかっていたごくごく単純なことだということがわかってきた。ひとつは言いたい事を日本語と同じように英語でもスラスラいえるようになりたいという思い。(要するに日英をもっとうまくなりたいという気持ち)そして私は海外で生活をするのが大好きだという事実である。私は日本人として海外で仕事をし、生活をすることが大好きだ。もし海外で生活ができるのであれば必ずしも通訳でなくてもいいのだと思う。要するに日常に英語が存在する環境が好きなのである。それは以前からわかっていたけれど今回3ヶ月という期間イギリスで生活をし、私は海外生活が本当に好きなのだなあ、と思いを新たにした。(とはいえとりあえず今は無事に研修を終え、日本に帰って少しのんびりすることを楽しみにしている)
2005年06月28日
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明日から私もシーズン2度目の欧州です。成田からフランクフルト経由でチューリッヒ、火曜にミラノ、水曜にフランクフルト、木曜にコペンハーゲン、金曜には再びフランクフルトに一旦戻ってから帰国します。
翌日には成田からNYへ。火曜にボストン、水曜にデンバー、木曜にサンディエゴからLA,金曜にはLAから帰国だって。マイレージかき集めてる感じ。
間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前にキリストに悔い改めてください。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。
私は1週間前に廃村少女[弐]をクリアした後、速やかにPS5のギャルゲー「ハッピールートを終わらせて」(略してハピオワ)をプレイ開始しました。そして現在に至るまで余暇時間を使ってサクサク進めてきました。サクサク進める事が出来たのは単純に面白いからです。メタ作品は田舎伝奇モノと同じくらい好きなジャンルなので、興味津々な気持ちを保ってプレイできました。
ちなみにメタ作品のmetaとはギリシャ語で「〜の後に」という意味があって、黙示録4章1節の御言葉でも使われています。
『その後、私は見た。すると見よ、開かれた門が天にあった。そして、ラッパのような音で私に語りかけるのが聞こえた、あの最初の声が言った。「ここに上れ。この後必ず起こることを、あなたに示そう。」』
上記の聖句の「その後」はギリシャ語原文で「meta tauta」です。metaは「〜の後に」です。tautaは「これら(複数形)」です。「meta tauta」は「これらの事の後に」という意味です。「これらの事」とは何か。黙示録1章から3章です。1章は過去に起きたこと、イエス様の復活。2章と3章は復活から携挙までの2000年間の教会時代、つまり現在です。そして教会が全員救われたら教会時代は終わって、その後に続きます。それが黙示録4章1節で語られている事です。
だから、携挙に取り残された人達は、黙示録4章1節の「meta tauta」に関する事をしっかりと理解すれば、携挙とエゼキエル戦争が聖書預言の成就である事、旧新約聖書66巻が神の御言葉である事、父・子・聖霊の三位一体の神がおられる事を信じることが出来るようになると信じています。
話を戻すと、要するに「メタい」という概念は患難前携挙を連想させる素敵な言葉なのです。
(つづく1)
それと、ハピオワについて語る時に、ウォーターフェニックスのRさんが特筆すべき方である事を強調しなければなりません。ハピオワの制作会社はケムコとウォーターフェニックスですが、実際に親方的な役割を果たしているのは一人の人間、一人の個人です。それはRさんです。
ちなみに誤解がないように言っておきますが、私は別に固有名詞を伏せるためにイニシャルのRだけしか紹介してないわけではありません。実際にRという名前がフルスペックの名前であって、本当にRさんはRさんなのです。なので、Rさんで良いのです。なぜならRさんはRさんだからです。夏目圭のように雅号を変える伏線なのかもしれないですね。
Rさんがなぜ特筆すべき方なのか。それは彼がシナリオとイラストを兼任しているからです。ユーチューブに上がっているハピオワのPVが悪手だと思うのは、ハピオワの魅力が伝わってない事です。シルキーズプラスの「ふゆからくるる」のオープニングでは「歌唱・作詞・作曲・編曲・逢瀬アキラ」と出ます。そこを見た人達が「おおー!」となるわけです。なぜならユーミンのように何でも出来る人を私達は尊敬するからです。シンガーソングライターが尊敬されるのは多能者だからです。
Rさんはハピオワでシナリオとイラストを1人で担いました。しかも高い完成度で担いました。これは確実にセールスポイントとして有効なのに、なぜかPVでRさんに関する言及が全くありませんでした。Rさんは自分の存在を主張する事だって出来たし、大きく見せる事だって出来ました。そしてRさんは明らかにそれをすることが出来る立場にいます。シナリオとイラストの二つを担っているからです。それなのに自分の存在をPVでも概要欄でも一切言及せず、ただひたすらにハピオワの紹介に徹底しています。
Rさんのへりくだった生き方に神の祝福がありますように。ハピオワを一人でも多くの人達が手に取って遊んでくれる事を願っています。重厚なシナリオと美しいイラストの両方を描写できる凄い人がギャルゲー業界にはいるという事を多くの人達に知ってほしいです。まだ私はハピオワをクリアしていませんが、楽しみながら最後までプレイさせて頂きます。
(つづく2)
それと、ハピオワをプレイするにあたって、ハピオワの公式ページに書かれているガイドラインを読んでほしいと願います。動画配信が当たり前になった時代において、動画配信を完全に規制する事はナンセンスだと思います。し
かし制作者側もみんなに楽しんでもらいたいという想いがあります。誰も損害を受けることなく、みんながハピオワというコンテンツを楽めるようにケムコ側がガイドラインを作ってくれています。公式ページにガイドラインがまとめられているので、配信活動をされる方はお読みになると良いと思います。
未プレイ者にとって重大なネタバレをされる事は損害です。その損害を回避するために配信者のモラルがあまねく機能する事を願います。
それと、私のコメントを読んでいる、ハピオワ未プレイ者の皆様にお願いがあります。お願いというか、ハピオワを最大限に楽しむためのヒントとして聞いてほしいです。まず、ネット検索などで事前情報を調べないほうが良いです。高校を卒業したばかりの青年が就職先で仕事を覚える時、右も左も分からないままで、先ずは現場に飛び込みますよね。それと同じです。
事前情報なし、攻略情報なし、何もなし。それで良いのです。それが良いのです。そうすれば最大限に楽しむ事が出来ます。ルートやエンディングの分岐はありますが、それでも基本は一本道ですから、迷うという事はありません。殻ノ少女みたいに攻略サイトみないとオールクリア出来ないような事は無いです。右も左も分からないままで先ずは現場に飛び込んでください。制作スタッフ達もそれを望んでいると思います。配信が当たり前の時代においては、逆に配信を見ない事が希少価値だと思います。
(つづく3)
それでは今から本題に入ります。
私がハピオワをプレイしている時に、少しだけ聖書的なシーンがあったので、そのシーンを紹介いたします。
・・・
氷河「ああ。……そこまで人の役に立とうとしていたとはな」
亜由乃はバイトもしていて忙しかったはず。そんな中、ボランティアにまで手を出していたとは。
鈴名「あー、違うよ。そういうのじゃないって。亜由乃さんはもっと利己的だったよ」
鈴名「実は私もそうなんだけどね。ボランティアは、自分の評価を上げる為にやってるタイプ」
氷河 「内申点狙いか」
鈴名「それも違って。 亜由乃さんのあれは、……言うなら、 君の布教活動かな」
鈴名曰く。
亜由乃は、ボランティアをする事で『紙島亜由乃』という人物像を良く見せさせたかったらしい。それは亜由乃自身が評価されたかったのではなく、 『紙島亜由乃』の言葉を受け入れてもらう為だと。
――ようするに。
『亜由乃さんが褒めるなら、氷河って人も良い人かも』 と思わせる為だったという。
鈴名「まあ、そんな事言ってはいたけど。ちゃんと、ボランティアにやり甲斐も感じてそうだったよ」
氷河「だろうな」
このゴミ拾いだって、亜由乃ならゲーム感覚で楽しむ様子が想像できる。
・・・
(つづく4)
第二コリント5章14節から21節には以下のように書かれています。
・・・
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
これらのことはすべて、神から出ています。神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。
こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
・・・
(つづく5)
第二コリント5章20節には以下のように書かれています。
『こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。』
英語版聖書には以下のように書かれています。
『Now then, we are ambassadors for Christ, as though God were pleading through us: we implore you on Christ’s behalf, be reconciled to God.』
英語でanbassadorとは大使です。つまり日本国内に住んでいるクリスチャンは、いうなれば駐日キリスト大使です。キリストを代表する者としての振る舞いを求められます。だから私のようなエロゲーしたり、FUU俗嬢とSEクスしてるクズは、キリストの大使として論外です。私は2016年1月に救われましたが、今でも地上に生かされている事が信じられません。大使として不適格な者は即時帰国させて解任する事が正しい事だと思われますが、イエス様はこんな私でさえ地上に生かしてくださっています。
私が神なら救われた日の夜に心臓止めて神の国に強制送還してます。同時に、そんな誰もが思い付くような近視眼的な状況判断を、全知全能の神がなさらない事は頭では分かっています。それでも私は自虐を込めて神に問いたい気持ちがあります。「何をする気だ?」と。メタナイトの逆襲で、帽子をかぶった鳥が「何をする気だ?」と言うシーンがありますが、そんな感じですね。
話を戻します。大使が良い事をすれば良い広告塔になるし、大使が悪い事をすれば悪い広告塔になります。そこで前述の亜由乃の話に繋がります。『亜由乃さんが褒めるなら氷河って人も良い人かも』 と思わせる。これが第二コリント5章20節に似てると思ったのでした。
これで筆を置きます。