2011年09月04日
不惑について考える
先日古い友人とディナーを楽しんだ。彼女とは中学時代からの友人で会う機会は少ないけれど、ずっとこれからも友達であり続けたいと思う人の一人である。彼女は40歳を過ぎてから自分は「丸くなった」といっていた。そして生きるのがだんだん楽になってきたともいった。今までは自己主張をすることに一生懸命で、思い通りにならないことに対して不満が沢山あったけれど、だんだんそういう欲求がなくなってきて、物事をさらっと流すことを覚えたら楽になったそうである。私はその気持ちがとてもよくわかった。私も以前は何事も努力すればきっとかなうと信じて頑張ってきた。頑張れば頑張っただけ成果が現れたので頑張ることが楽しかった。でもだんだん頑張っても思うような成果が得られなかったり、成果が見える前に体調を崩してしまうことが増えてきた。やりたくても体や脳みそがついてこないことがある、ということを実際に経験するようになってきた。でもそうすると自分ができる範囲の中でいかに精一杯頑張るか、その枠組みの中で努力をするようになってきたように思う。それは私にとって必ずしも悪いことではない。バブル世代の私たちは今までの人生の中であまりにも選択肢がありすぎて戸惑うことも多かった。でも年齢を重ねていく中でだんだん物理的にできないことがでてくる。すると自分ができることにより集中するようになってくる。つまり持っていないものを得るために頑張るのではなく、持っているものを最大限活用するための努力に変わってくるのである。その結果自分の持っているもの・好きなこと・できることにフォーカスするようになるので生き方がシンプルになり迷いがなくなってくるのだ。そっか。だから不惑なのか。
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