知り合いの通訳者がよく「愛のある通訳」という表現を使用するが、最近私は「愛のある翻訳」について考えさせられることがあった。先日自分が担当する会議の日本語と英語の資料を受け取った。会議の前に資料を読みながら、う〜、愛がないなあ、と感じる英訳が多々あった。もしかしたらかなりの部分を翻訳ソフトに頼ったのかもしれない。翻訳ソフトを使用すること自体は全く問題ないけれど最終的には人間のチェックが入らないとどうしても訳のわからない文章または不適切な単語の使い方が残ってしまうことになる。もし翻訳者がこの資料を使用して自分が通訳をしなければならない、という前提があったら果たしてこういう訳出のまま提出しただろうか、と考えた。数日後、今度は自分がシステム関連の文書を翻訳することになった。システム関連の文章はただでさえ無機質なので翻訳作業は必ずしも楽しいものではない。でも先日愛のない翻訳に出会って悲しい思いをし、またこの文章を誰が読むかわかっている私はでできるだけわかりやすい訳ができるように愛をこめて訳す努力をした。果たして読んだ人は私の愛を感じてくれるだろうか。みんなの反応をひそかに楽しみにしている。(多分何の反応もないだろうけど…)
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posted by バナナマフィン at 20:09| 東京 ☀|
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Love is reciprocal. Loveless documents lead to lovess translation. If you want love, you need to say what you have to say with love.