2009年12月26日
社説について
世の中の皆様はそろそろ仕事納めを迎えているころだと思うが私はもうすっかり冬眠モードなので、外出もせずに毎日家でテロテロしている。年末年始は多くの外国人は帰国してしまうから社内で仕事をしていた時は上司の休みに合わせて私も国外脱出をはかることが多かった。が今年は懐も寂しいしこの不況でそんな気分にもなれないので大人しくしていることにした。とりあえずはなるべくスキルが錆びないように毎日少しだけでも勉強することにする。まずは日英。以前は必死に社説を使って日英の勉強をしていたけれど、最近社説を使っても日英のスキルは上達しない、ということを発見してしまった。時事英語や英語表現を勉強するには大変役立つし社説を勉強することは決して無駄にはならないけれど、私が望むような日英の改善にはつながらないということがわかった。なぜならば社説の文章には主語と述語がちゃんと存在していて文章がきちんと完結してるからである。新聞の社説だからそれは当り前だけれど話し言葉(いわゆる私たちが日英をしなければならない形式の文章)ではそういったきちんとした形式の文章はほとんどない。大体は主語が欠落していたり、途中で話の方向性が変わったりというパターンが多い。やはり誰かが実際に話している言葉を教材としたほうが断然いい、と思うようになった。また今までは対訳がついているものを使ったほうがいいと思っていたので必死にネットで教材を探していたがそういう教材はなかなか存在しない。というわけで私は最近対訳の有無は無視して日本人が普通に話をしている動画などを使って勉強するようにしている。これで日英のスキルが向上するかどうかはまだわからないけれど少なくとも学校で日英ができなかったときの、あのフラストレーションと無力感は感じることができるので、ある意味で授業の再現はできているんじゃないかな、と思う。
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ある一定のスピードをもってアウトプットされるものには、翻訳の観点から見たqualityの限界も有るかもしれないかもしれません。通訳では、限界と捉えるよりむしろ、時間を軸にして理路整然と聞き手に分かりやすい情報をアウトプットする事が求められるのだと思います。
私も翻訳ばっかやってないで、ちょっとは通訳力も鍛えておかねば!です。
にしても…『あのフラストレーションと無力感は感じることができるので…』笑っちゃいました。が、言い得て妙なりって感じです(^_^)
あっちさん、コメントありがとうございます。社説についてですが、社説を使うのはとてもいい勉強法の一つだと思っています。私は日英が苦手なのですが、その大きな原因はどうしても直訳をしてしまうこととと適切な主語をうまく見つけられないことです。社説は基本的な日英の勉強法としてはとても有益ですが、いわゆる日本的な話し方とか、主語が省略されている場合の日英などの部分はなかなかカバーできないので、社説の勉強だけでは十分ではない、と申し上けるべきでした。言葉足らずですみませんでした。